昨日のブログの総裁選挙の話題で、「既得権益を打破するという候補者を選んではいけない」という話をしました。
また、昨日のテレビでも「既得権を打ち破る、という主張をすると、既存の自民党を応援していた団体から嫌われて票が減るので、そういうことを候補者は言い辛い。でも、それを言う勇気ある候補者を選ぶべきだ。」という評論家も出ていました。
そこで、既得権について考えてみたいと思います。
既得権益というと、悪いイメージを抱きますが、世の中多かれ少なかれ既得権益で出来上がっています。
たとえば、年金受給資格も既得権益です。まじめに10年以上保険料を納めておけば、だれでも一定の年齢になれば年金を受給できます。これも既得権益となります。
日本人として生まれれば、18歳になれば自動的に選挙権が与えられます。これも既得権益です。
これも、既得権を持っていない人からすれば、非常に不公平な話です。日本で生まれ育っているのに、国籍がないだけで選挙権が与えられない。不公平だと感じるでしょう。だけど、外国籍の人に日本の参政権を与えるわけにはいきません。日本の国益よりも外国の国益を優先するおそれがあるからです。
既得権益には、それなりの理由があり、経緯があるのです。
電力業界も巨大な利権の塊です。地域独占・総括原価方式で料金も政府が介入する民間企業でした。地域独占を認める代わりに、その地域の電力供給には責任を持ってもらう、ということです。
電力供給に責任を持つ、とはどういうことか。
電力事業は巨額の設備投資を伴います。巨額の設備投資をするためには、投資後の資金回収の見込みが必要です。赤字になるかもしれない事業には、誰も投資しません。
投資した資金を確実に回収するために、料金は政府が介入して設定し、国民に負担をお願いする代わりに十分な設備投資をすることを電力会社にやらせてきたのです。これが総括原価方式です。
電力事業の根幹は、ファイナンス。言い換えれば、投資資金の確保とその回収保証。これがなくては、日本全国に電力の安定供給網を張り巡らせることはできなかったのです。
さらに電力網維持のための人材育成も必要です。
ところが『地域独占で既得権益の塊だから、競争もなく、電気料金が高止まりしている。電力会社の社員は働かない。だから電力事業も自由競争にして、自由に誰でも参入できるようにし、競争によって電気料金の値下げを図るべきだ。』
そういう議論が巻き起こり、電力事業も原則自由化となりました。
その結果、だれも電力の安定供給に責任を持てなくなりました。責任をもってコストをかけても、結局赤字が膨らむだけで企業の存続が危ぶまれることになるからです。
ほとんど報道されませんが、この冬の電力需給はひっ迫しています。
https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/denryoku_gas/denryoku_gas/pdf/035_03_01.pdf
電力自由化により、電力会社も余剰設備を抱える体力がなくなり、火力発電設備を廃棄しています。競争により、利益体質に改善しなくてはならないために、無駄な設備を廃棄するのは当然です。
しかし、無駄な設備とは、実際は電力供給力の予備を抱えることとイコールであり、想定外の事態が発生したときに動かして電力の安定供給を支えるという大事な役割があります。
でも、想定外の事態が発生しないかぎりは無駄であり、余分なコストを生み出すお荷物です。
「利権を既存の協力会社にばかり仕事を発注する形で確保して、自分たちばかりが利益をむさぼっている。これも入札にして自由競争にし、誰でも参入できるようにするべきだ。」
そういう意見も聞かれます。公共事業もそのたぐいの話は多いです。
しかし、電力の安定供給のためには、災害時にも早急に対応できる専門家集団を常日頃から育成しておく必要があります。災害時に「入札して競争」なんてことはしていられません。夜中でも電話一本で対応できる専門家集団が必要です。
これらは既得権益と言えるでしょう。
しかし、これらの既得権で本当に守られているのは何か。
それは国民への電力の安定供給です。結果的には、国民生活の安全安心が守られているのです。既得権益を享受しているのは国民だったのです。
電力自由化により、いわゆる既得権が破壊され、いつでも電気が十分に供給されるという、安心安全な国民生活は損なわれようとしています。
『既得権益は悪であり、これと戦う政治家は勇気ある政治家だ。』
こういう単純な発想からは脱却してもらいたいと切に願います。
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とてもわかりやすい説明です。こんな話を地上波のワイドショーやマツコデラックスとかタケシの番組でしっかり取り上げて欲しいと思います。
ありがとうございます。そうですね。既得権を打ち破れ、ではなくて、国民の最大幸福を追求する番組作りをしてほしいです。