昨日の菅総理の記者会見で、厚生労働省がうまく動かずにコロナ対策に苦労した、という発言がありました。
感染症対策では、いろいろな部局があり、また省庁をまたいでやらなければならないことも多く、地方自治体に依頼しなくてはならないことも多い。
大変な状況であることは理解できます。
しかし、ここで指摘しておきたいのは、厚生省と労働省を合体させて厚生労働省を発足させた橋本行革の評価をきちんとすべきである、ということです。
当時は(いまでもそうですが)小さな政府論が世間を席巻していました。
「とにかく行政をスリム化してコストを削減し、民間でできることは民間にしてもらい、公務員を削減するべきであり、大臣の数も減らすべきだ。」
そういう空気が世の中に蔓延していました。
政治家もそのような考え方を持っている人が多かった。世論も、いまでもそうかもしれません。財政再建は、そのころから大きな政治課題でした。
行政コストの削減は財政赤字を減らし、財政健全化に寄与する。そう考えられていました。
当然、必要のない組織は廃止するべきだし、統合できるところは統合してスリム化を図るのは理解できます。
しかし、厚生省と労働省は、じつは全く異なる行政官庁です。医療福祉行政と労働行政は、分野が異なります。
国土交通省もそうです。建設と交通行政は、全く違う分野です。
そして、大臣が一人で見ることができる限界というものもあるでしょう。
さらには、国会も省庁に応じて委員会がありますから、厚生省と労働省があれば、厚生委員会と労働委員会という二つの委員会ができ、それぞれで審議を行いますが、厚生労働省に統合されてしまうと、国会の委員会も厚生労働委員会に統合されてしまいます。
つまり、充実した審議は行われなくなる、ということです。
橋本行革により、省庁再編がなされてから20年。この間、公務員数も削減され続けてきました。
いまになって、その弊害が顕著に表れてきています。
改革の成果は、このように何年も後になって表れてきます。そのときに、その改革を主導した人たちは既に亡く、その時代に生きる国民がそのツケの後始末をすることになります。
政治家は、その改革が本当に国益になるのかどうか、よく見極めて実行しなくてはなりません。場合によっては、その改革は国を滅ぼすことに繋がります。
だから、「保守主義」が大事なのです。
本当に、その改革をやって大丈夫なのか?
もちろん改善は必要だが、改善程度に抑えていたほうがいいのではないか?大胆に変えてしまっても大丈夫なのか?
そういう考え方で、慎重に、徐々に改善を加えてより良いものに改良していく。『改革』に対しては、警戒感を持つべきなのです。
いまの日本の政界では、保守は本当に少なくなりました。そのうえ、やみくもに『改革』を声高に叫ぶ政党が「保守」とされ、『やってはならない改革』に反対する政党が「革新」と分類されています。
この定義の間違いが、政治の混乱を助長しているのです。
自民党が本来の保守政治を取り戻すことが一番求められています。