年末年始のお休みに読むべき本。
今日は渡部昇一の昭和史 正 新装版 (WAC BUNKO 338)
戦前の日本は、アジアの侵略をした悪の帝国で、天皇主権で国民主権ではなく、民主主義も自由もなかった。敗戦により自由と民主主義を手に入れて、言論統制や軍国主義の暗黒の時代から自由の国へと変貌した。
そんな印象を持っている日本人も多いように思います。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
第二次大戦前の世界は欧米列強が世界を支配する時代。アジアやアフリカは植民地になって当然。欧米列強の国民は優れているので、他国を支配するのは当然。そんな時代でした。
日本はその中で、唯一有色人種で先進国として、大国として認知され、欧米列強と肩をならべるまでになりました。
そして、人種差別禁止条約を当時の国際連盟に提案したのも日本です。しかし、これは反対多数で却下されました。
戦前の植民地支配をしていたのは誰なのか。そして植民地解放を行ったのはどの国だったのか。朝鮮半島は日本の植民地だったのか。
日本人が正しい日本人としての歴史観を持つことは非常に重要です。
また、明治憲法にも欠陥があり、この欠陥を修正できなかったために軍部の暴走を招き、結果として亡国の戦争に突入していったという側面もあります。
戦後にはGHQの厳しい言論統制や検閲により、占領軍や中国・朝鮮について批判的な意見を言うことが禁止され、戦前の日本は悪の帝国であり、国民は軍国主義の被害者である、という宣伝が大々的に行われました。このような事実もほとんど知られていません。
日本の近代史をきちんと理解するためにもおすすめの一冊です。
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西郷南洲遺訓より
第11ケ条
文明とは道の普く行はるるを、賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら些とも分からぬぞ。予、甞て或人と議論せしこと有り、西洋は野蛮ぢゃと云ひしかば、否な文明ぞと争ふ。否な否な野蛮ぢゃと畳みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆえ、実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程、むごく残忍の事を致し、己れを利するは野蛮ぢゃと申せしかば、其の人口を莟めて、言無かりきとて笑はれける。
[訳]
文明というのは道義、道徳に基づいて事が広く行われることを称える言葉であって、宮殿が大きく立派であったり、身にまとう着物が綺麗あったり、見かけが華やかであるいうことではない。世の中の人の言うところを聞いていると、何が文明なのか、何が野蛮なのか少しも解らない。自分はかってある人と議論した事がある。自分が西洋は野蛮だと言ったところ、その人はいや西洋は文明だと言い争う。いや、いや、野蛮だとたたみかけて言ったところ、なぜそれほどまでに野蛮だと申されるのかと強く言うので、もし西洋が本当に文明であったら開発途上の国に対しては、いつくしみ愛する心を基として、よくよく説明説得して、文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、開発途上の国に対するほど、むごく残忍なことをして、自分達の利益のみをはかるのは明らかに野蛮であると言ったところ、その人もさすがに口をつぼめて返答出来なかったと笑って話された。
安藤先生お疲れ様です。
先生が紹介された渡部先生の本を読んで、歴史を勉強しております。
ところで、僕も尊敬する渡部先生についてなのですが、経済の見立ては正しいのでしょうか。
渡部先生は、自分はハイエク派だとご本人がおっしゃっていました(ハイエクが来日した時に彼の通訳を務めたのが渡部先生だったので、その縁もあるそうです)
渡部先生は「小さい政府の方がいいに決まっている」や「デフレは(牛丼などが安く食べられて)悪くない」と本に書いてました。渡部先生のこのような発言は新自由主義的ではないでしょうか。
安藤先生のご見解をお伺いできれば幸いです。
ありがとうございます。
渡部昇一先生は、歴史認識等は素晴らしいと思うものの、経済などはあまり造詣が深くなかったように感じています。
おっしゃる通り、発想は新自由主義的だし、小さな政府がいいのだ、ということ言っておられました。
そういう意味では、本当の保守ではなかったのかもしれません。
近現代史の歴史認識の確認には最高の先生だと思いますが、その他は少し注意したほうがいいでしょう。