昨日は、お招きをいただき「ひきこもり」について考えるシンポジウムのパネルディスカッションに参加しました。
このシンポジウムについては、NHKがニュースとして取り上げています。
私は専門家ではありませんが、与党の政治家の立場で思うことを発言しました。
40歳から64歳までの1.45%、61.3万人がひきこもり
内閣府の平成30年度の調査によると、全国の満40歳から満64歳までの人口の1.45%に当たる61.3万人がひきこもり状態にあると推計された、とのこと。これは相当高い数字です。令和元年版 子供・若者白書(概要版)特集2 長期化するひきこもりの実態
1.45%ということは、100人に一人以上ですから、これを読んでいる読者のすぐ近くにも引きこもり状態の人は必ずいる、ということです。
市にいくら支援要請しても動いてくれない
このシンポジウムの中では、いくら市に支援を要請しても、「これは県の仕事です」とか「担当が違います」などと言われて一向に前に進まない、という話がありました。
それもそのはずで、公務員も仕事が一杯いっぱいで、とても新しい仕事を受けられる環境ではありません。必要性があることがわかっていても、受けられないのが現状です。
ずっと公務員数を削減してきたおかげで、引きこもりや児童相談を随時受け付ける窓口に、職員を割り当てられないのです。
公務員の仕事は増える一方、公務員数は減る一方
昨今は公務員の仕事は増える一方で、人員は減る一方です。
また、政治家が張り切って新しい議員立法などをやると、たいていの場合は役所に報告書の提出を義務付けたりするので、また公務員の仕事が増えます。これらの仕事は中央省庁だけではなくて、地方の基礎自治体にも影響を及ぼす場合が多いので、議員立法をやればやるほど公務員の仕事は増えるのです。
もちろん必要があるから立法するのですが、その場合には担当する職員も増やす検討を同時にし、事務処理増に相当する人件費の予算措置もセットで計上する必要があります。この点は、現在はあまり考慮されていないので、公務員は悲鳴をあげることになります。
日本の公務員数は少なすぎる
したがって、これらの事態を解決するには、公民数を増やすしかないのです。
しかも、日本の場合は人口当たりの公務員数は世界でも有数の少なさです。
世間でよく言われる「日本は公務員数が多すぎる」というのは大間違いで、正しくは「日本の公務員数は少なすぎる」のです。人口千人当たりの公的部門における職員数の国際比較(未定稿)
そのため、窓口はほとんどが非正規公務員で派遣会社が儲かる仕組みになり、国民は貧困化し、地方経済は衰退していきます。
引きこもりの問題も、行政が十分な予算と人員を確保して、専門家の対策チームを育成していけば、相当解決に向かいます。
ひきこもり対策は国にとっても非常にいい政策となる
働き盛りの年齢で引きこもり状態の方が60万人もいる、ということですから、このうちの何割かだけでも社会復帰を果たして就労してもらえれば、外国人労働者(移民)を入れるという必要もなくなります。引きこもり支援は、日本社会にとっても非常に良いことなのです。
そのための予算は、国が国債を発行して新たな通貨を作り出せば、措置することができます。財源については心配ないのです。
日本の場合「財源がない」ということはあり得ない
しかし、いろいろな要望があっても、国にはお金がないから予算を付けてくれと言っても無理だよなあ、と諦めている場合が非常に多いですね。国にはお金を作り出す権限があるので、財源に制約はありません。あるのは、インフレ率による政府支出の制約や人的・物的な制約だけです。
この日本を縛っている誤った予算制約を解き放てば、かなりいい政策を実現できるようになります。
そのためにも、昨今話題になっている「プライマリーバランス黒字化目標の凍結」は絶対に必要なのです。
お疲れ様です。
少し長くなりますが、最後までお読み頂けたらと思います。
日本の公務員の数が少ないという議論は既知です。
「年次改革要望書」によるアメリカからの圧力に屈してか、新自由主義者(売国的虚無主義者)による”人為的”なデフレ不況の影響で公務員の数が”意図的”に減らされていると思います。
しかし、それに乗じてか知りませんが、国会議員が無駄に公務員へ仕事を増やしてはいませんか?
仮に、ひきこもりとならざるを得なかった人達が公務員を目指したいと思っても、デフレ不況下では採用枠が限られており、その上、無駄に仕事量が多いのなら、生活保護を受けた方がいいという方向に流れます。
それに、批判するつもりはありませんが、ひきこもりに限らず我々は国家の駒使いではありません。ひきこもりと呼ばれる人達は国家のGDP上昇のための駒ではありません。
「私は〇〇の腕を磨きたい。私はこういう人間だ!」という、ひきこもりと呼ばれる人達にも、それぞれ「アイデンティティ」があるのです。
公務員なんかやりたくないという人も中にはいるはずです。
これも国家・国民の安全保障を連関する形で総合的な視点で観れるか否かの問題だと思います。
公務員、民間企業、実業種問わず、そうした視点で観ていくしかないのではないでしょうか?
いつまでも外敵に対して背中を見せている暇はないのです。
そうなんですよ。国会に限らず、議員が公務員の仕事を増やしている側面は、かなりあると思います。
もちろん、必要なことは言わなくてはなりませんが、議員の実績作りのために、不必要な事業や報告が
求められているケースも散見されます。
議員にもその点は自粛を求めるべきでしょう。
シンポジウムでも言ったのですが、子どものころから「個性を大事に」とか「夢を追え」とか言われると疲れますよね。
自分には個性がない、とか、夢がない、と思って自信を失っている子供もたくさんいます。
それでもいいんだ、というゆったりとした社会を取り戻す必要があると思います。
引きこもりの支援と一言で言っても、具体的に何を目指してのどういう支援なのか見えてこないことが多いように思います。
引きこもりの定義自体も、時と場合により異なって曖昧。
そもそも引きこもりのどの部分が問題なのか。無職で生活力がないことが問題なのか、社会的に孤立していることが問題なのか。一応働いてはいても日雇いやナイトワーク等で社会的に孤立している人もいれば、無職で生計は他者に頼っているけれど人間関係は充実している人もいる。彼らは引きこもりじゃないから問題ないのか。彼らと引きこもりの差異はどこなのか。
どうにも、引きこもり固有の問題点がはっきりしません。
個人的には就職に関する支援と社会的孤立に関する支援は分けて考えるべきだと思っていて、極端に言えば、どちらの支援も必要としていないなら「引きこもりであること」の問題は特にないのではないかとも思います。
例えばコンビニ以外は外出しないけれど在宅で仕事はしていて、オンラインで諸々の手続きをする方法も知っているし非社交的で一人でいることが苦痛でないような人なら、引きこもりであっても何の支援が必要なのかという話ですし(問題がないとまでは言いませんが)。
少なくとも「引きこもりであることの具体的な問題点」と「目指すべきゴール」を明確にしなければ、ダラダラと半端に「やってる感」を見せるだけの意味のない支援であり続けると思います。
というか、経済が上向いて40代50代の職歴なしでも何でもいいから働きに来てくれ!という状況になれば自然と解決する問題のような気もします。
現状外に出るだけでもしんどい人が、自分が必要とされていない場所に行って「雇ってくださいお願いします」と頭を下げ、それでも何件も何十件も断られるということ。そりゃあ地獄ですよね。家から出たくなくなる気持ちもわかる。
逆に「ぜひ働きに来てくれ」と言ってもらえれば、小さな子供じゃないんですから手を引いて家から出してやらなくても、求められてるなら頑張ってみるかと出てこれるんじゃないでしょうか。
結局はそこですね。デフレ脱却。そして移民は阻止。
そのとおりで、引きこもりは定義があいまい。そして対応方法も未確定です。だから、このようなシンポジウムできちんとした対応をしましょう、と啓発活動をしておられるわけです。
本人も周りも安心していられるのであれば、それでもいいのですが、暴力があったり、無視したりということがあると放置してはおけませんね。
かなり深刻な問題だと思っています。