日本の凋落を招く日本のマスコミ

 日本のマスコミの主張はまさに日本を衰退させる。目も当てられない状況になっています。

社説で財政破綻論を唱える愚

(社説)自民党総裁選 財源論議から逃げるな

 わかっている人からみたら、失笑するしかない「社説」。しかし、朝日新聞に限らず主要マスコミは長い間「日本の財政は破綻する。危機的状況である。」と報道し続けてきました。

 すでに財務省がとうの昔から「日本国債のデフォルトは考えられない」「ハイパーインフレの懸念はゼロに等しい」と公式見解を述べているにも関わらず、「日本の財政は破綻する。財政健全化が最重要課題だ。」と報道し続けてきたのです。

 マスコミが「真実を国民の前に明らかにする」という本来の役割を果たすのであれば、財政破綻論に関する財務省の矛盾を突いて、国民の前に「日本の財政破綻はない」ということを明らかにするべきなのですが、その役割は放棄しています。

 そして、財務省の発表する通りの「財政破綻論」を国民に報道し続けているのです。

「財政破綻論」は「経路依存症」という病

 仮に、財政破綻論が間違いだったを気付いたとしても、「これまでの報道が間違いでした」とは、とても言えないのでしょう。これを「経路依存症」といいます。経路依存症について、一つの考察がこれです。

経路依存性(Path dependence)―過去の歴史が将来を決める

 つまり、物事が決まるのには正しいことが常に選択されるわけではなく、そこには歴史的経緯が重要である、ということです。

 過去に一度ある判断をしてしまうと、それを訂正するのは非常に困難を伴う。特に、その判断をした人が多ければ多いほど困難になる、ということなのです。

 古くは天動説から地動説への転換は、大きな社会的問題を引き起こしました。参考までにこちらをご覧ください。地動説

人間は常に正しいことを選択するとは限らない

 このように、「人間は賢いので正しいことが常に選択される」ということが幻想であることは歴史が証明しています。

 だから、私たちは常に、日頃から常識と言われていることを疑ってかかる必要があります。

経済学の本質

 特に経済学という学問は非常に歴史も浅い。そして、経済には人間の感情も深くかかわるために、経済の動きを正確に予測するのは非常に困難を伴います。

 いま語られている経済学は、ほとんどが過去の事象を仮説にあてはめ、その仮説が実証されるデータをうまく組み合わせて説明する、という手法を採用しています。つまり、仮説を説明するのに都合がいいデータだけを集めて説明し、都合が悪いデータは無視するのです。

 財政破綻論も、「財政は破綻するに違いない」という「仮説」に基づいて研究発表し、学会で地位を築いてきた「主流派経済学者」が主張し、マスコミもその主張を「正しい」と報道してきたので、今更「間違いでした」というわけにはいかないのです。

 しかし、これまでの財政破綻論によって誘導された緊縮財政が日本の失われた30年を生み出したことは明らかです。

経済学者の保身

 でも、それを認めるとこれまでの自分たちの主張が完全に否定され、これまで築いてきた地位や信用が損なわれることになるので、とてもそんなことはできない。

 そして、間違っていると半ばわかっていても、これまでの主張を繰り返し、結果的に日本の衰退を招いている。

 これが日本のマスコミであり、主流派経済学者の実態です。

 これを打開するには、選挙で民意の力で「財政破綻はない」「プライマリーバランス黒字化目標は凍結」という意思を示さなくてはなりません。

 これが民主主義の本当の力です。

14件のコメント

シェアさせていただきましたが、文中、「ととうの昔」、「財政健全化が差重要課題」という誤字があるようですので、訂正していただくと助かります。
いつも、国民のために奮闘いただき感謝申し上げます。

ありがとうございます。修正しておきました。

何で小学生でもわかるこの日本の財政問題を何時迄も麻生を筆頭に続けるのか?
やはりアメリカ政府、アメリカ金融資本の要請なのでしょうか?

アメリカの要請ではなく、財務省の教育が行き届いているためだろうと思います。
それに加えて、借金をしてはいけない、という当たり前の道徳心が、正しい理解を阻んでいます。
借金という表現がよくないのでしょう。

『「考える」とは「身をもって交わること」である。』

批評家 小林秀雄が講演で話されていたものですが、これが本来の『考える』ということではないですか?

特定の対象から距離をとり、観念的に物事を見ることが”考える”ことであると、新自由主義者や既存のメディアは間違って伝えてます。だから、無闇にインテリ風の言葉をかざして説明し、また国民もそれが「かっこいい」と勘違いする。

身をもって交わらないから、対象を外から眺めて観念的に物事を見てしまう。
経済学に限らず、国民の物事を考える態度、人と接する態度もこのようなものでしょう。私はそう思いますね。

「”からごころ”に染まってない」と思っている人ほど、”からごころ”に染まっている。

それと、経路依存症とそれに連なる「センメルヴィイス反射」の弊害も『身をもって交わる』ことを拒否しているから、折り合えない。

偉そうなことは言えませんが、政治家から国民に言いたいのは、肌感覚がいかに大切であるかを『身をもって交わる』ことから始めませんか?と。

この言葉の意味を『身をもって交わる』ことを通して『考える』ことではないですか?

数日前に、コメントさせていただいたことがある程度解消いたしました。しかし、マスコミ全部が付和雷同的に財政破綻を言っているのは情けない限りです。
今日の記事をシェアさせていただきます。

『「考える」ということは、「身をもって交わる」ことである。』

批評家 小林秀雄が講演で、本居宣長について話されたこと一部です。

特定の対象から距離を取り、観念的に物事を見ることが”考える”ことだと誤解されてますね。政治家、学者、既存のマスコミ、国民に至るまで。

経路依存症とそれに連なる”センメルヴィイス反射”も然り。そこに、悪しき”個人主義”がばら撒かれており、そこに対象から距離を取り、観念的に物事を見る”考える”が跋扈している。

こうして『身をもって交わる』という本来の『考える』ことを困難にさせていることを政治家から国民は自覚するべきですね。

そうですね。センメルベイス反射もその通りです。世間に考え方を広める立場にある政治家や学者は、本当に自覚しなくてはなりません。

つい最近の産経新聞で伊藤元重大先生が「日本経済の長期停滞の原因は供給サイドの問題であって、財政で需要を刺激しても限界がある。社会保障費は削れないので増税が不可避」と書いていましたが、本当にそうなのでしょうか。

完全に間違っていますね。日本の長期停滞の原因は需要不足です。財政で需要を刺激し続け、需要不足の状態を継続すれば仕事が常に多いので、人手不足の状態が継続し、賃金があがり、人手不足を解消するために技術革新や設備投資が促進され、経済は好循環を始めます。日本の停滞の原因は、需要を刺激しなくてはならない財政出動が少なすぎ、やっても短期ですぐにやめてしまうからです。増税は不必要です。

間違いだとわかっても考えを改めることができない経路依存症をただすには、天動説、地動説の戦い同様に、新たな事実の発見が必要なのでしょうか。

もうすでに事実は発見されています。
でも、天動説も地動説に転換するには1000年以上の年月が必要でした。
この財政破綻論も、かなり時間がかかるかもしれません。
ただ、経済の低迷は人の命を奪い、社会の混乱をもたらすので早期の是正が求められます。

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あんどう 裕(ひろし)前・衆議院議員
慶應義塾大学経済学部卒、大手鉄道会社入社。平成9年税理士試験合格。平成10年独立し安藤裕税理士事務所を開設。平成24年12月衆議院議員総選挙により初当選。以後3期連続当選。議員連盟「 #日本の未来を考える勉強会 」前会長。税理士。